坂本さんと幸宏さん

今朝のニュースで坂本龍一さんが亡くなったことを知りました。 病状が思わしくないのでいつかこのニュースを聞くと思っていたのですが、とうとう…。

このお二人の音楽を聴く経緯を書きたいと思って書きます。

自分の姉は私より7つ上で、80~90年代の坂本さんの音楽を聴いていて、それを自分も10代になった時に姉のレコードをよく聞いていました。「未来派野郎」のアルバムで、特に1曲目(曲名を忘れましたが)や「黄土高原」は非常に衝撃を受けました。すごく格好良く、また「未来」のイメージを感じましたしジャケットや中のイラストもすごく印象的でした。今思うとYMOが散開してラストエンペラーのBGMを作ったころの脂ののった時期のアルバムで名曲ぞろいです。

5つ上の兄も同系の音楽嗜好をしていたのかサディスティックミカバンド(桐島かれんの第二期)を聞いていて、自分もそれを借りて聞いていて、そこで幸宏さんを知りました。そんな音楽を聴いているうちに、「YMO」というキーワードを知りました。
10代だった当時はインターネットも普及していませんので調べる事ができず、「YMO」の言葉とそのイメージがもくもくと湧いてきて、高校時代にYMOのアルバム「アフターサービス」(グループ最後の方のライブアルバム)を買って、どっぷりはまっていきました。 

その後YMOの他のアルバムや坂本さん、幸宏さん、細野さんのCDを買っては聞いていたのが10代・20代の自分でした。 93年にYMOが再結成した時は本当にうれしくて、アルバムやら関連書籍を買ってはまっていました。

それから30年、3人それぞれの動向をにやにやと見つつの音楽ライフです。芸者ガールズも聞きました。坂本さんのスイートリベンジ、1996、BTTBなどもよく聞きました。 幸宏さんは「lifetime happytime」の頃から聞いて、ファッションブランドを立ち上げたことや細野さんとのPUPA、METAFIVEも嬉しく聞いていました。

細野さんはなかなかとっつきにくく思っていましたが、名作「花に水」が衝撃で、何度もカセットテープで真夜中にデッキで聞いていました。カセットはどこかに行ってしまいましたが、今はYouTubeで聞けます。すごい時代です。そして「銀河鉄道の夜」のサンドトラックです。今でも時々聞きます。

特に坂本さんはYMOに対して思うところがあるのか、2度目の「再生」以降はYMOはもうないのかと思っていましたが、割とニュートラルにYMOの曲を演奏してくれるようになり、それが動画でも簡単にみられるようになりとても嬉しかったです。

時代は変わり、息子が見ていた子供番組「ムジカピッコリーノ」という番組では過去の音楽をリスペクトして取り上げる中でYMOの「ライディーン」がありました。息子もとても気に入って鼻歌をよく歌います。

SNSが普及しインスタグラムで3人の近況も身近に感じていましたが、少し前に幸宏さんがなくなり、そして坂本さんがとうとう亡くなってしまいました。

少し前に坂本さん最後のアルバム「12」を聞きました。すさまじく研ぎ澄まされたアルバムです。どこにでもあって、坂本さんだけがつかみ取った音、という感じでした。いつまでも聞きたいアルバムです。

リアルタイムで接しなかった音楽も含め、たくさん自分の人生の一部として聞いてきた二人の音楽。寂しい気もするし、でも坂本さんが言っていたように「人生は短いが音楽は長い」という通り、それぞれの残したものがあり、それを聞いてきた自分はその時の気持ちになれると思うので、思い返してみては、またその音楽に触れたいと思うのです。それぞれ二人が作り出した音楽、とても好きでした。

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