栗づくり

2月は「逃げる」などと言って早く終わるといいますが、じっと寒さに耐える今年はようやく冬の終わりも見えてきたようでホッとしています。 
コロナ禍の子供たちの生活も制限がありましたし、原油価格上昇もあって息苦しい生活が続きますね。灯油18Lが2千円超えるとは思いませんでした。20年前の2倍以上です。

そういえば松本に移住した15年前、海なし県の長野は輸送費がかかるせいかガソリン価格が高かった思い出があります。実家に帰省する道中、群馬や埼玉に入るとガソリンスタンドの価格が10円以上も違っていました。いまはそれほど差を感じないのですが、何か理由があるのでしょうか?いまだ差は大きいのでしょうか?
田舎で遠出をしない人なら自宅で充電できる電気自動車が良いという人もいれば、いずれ大きなバッテリーが厄介なごみになるので普及しないという人もいます。

作って、使って、廃棄するまでを考えるといったい何が正しいのか。例えばプラスチックの植木鉢は安価ですが経年劣化するとただのゴミです。 素焼きの植木鉢は少々高くて重いですが長く使えて、壊れても粉々にすれば土になります。

ものは、愛着を持って長く使い、捨てる時も自然に還るものがやはり良いと思います。 その点で木は、何でも作れるわけではありませんが優れた素材の一つと言えます。

仕事の合間を縫って、木の栗製作をしました。

木の栗

すべて山桜の芯材と辺材の色が変わる部分から作っています。

端の部分からしか作れないため、意外と多くは作れないのです。 栗づくりを優先して芯材の方が狭くなると本末転倒なので、あくまでも余り材の中から作ります。

木の栗

彫刻は楽しいのでついついやり過ぎてしまい、肩こりになります。

木の栗

近所の本物の栗の木、落ちたイガや栗の実、葉っぱはいつの間にか土にかえろうとしています。身近な自然の成り立ちは、人が地球で生きるための教本です。

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