残された切り株

妻が風邪をひいて、それが息子にもうつって、二人で鼻をグズグズ・咳をゴホゴホしているため、私が通常の仕事ができずにできる範囲の家事と机上の仕事をして過ごしています。
なかなか手を動かして制作する時間が少なく、時間ばかり過ぎるような気がします。

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みなさんは、これまであった建物が取り壊されて更地になった場所を見かけると、「あれ、何があったんだっけ?」と思った事はありますか?

ちょっと違うかもしれませんが、先日木が切り倒された跡をみてきました。
切り倒されたあと

松本市に薄川(すすきがわ)という川があり、その上流の金華橋という橋の近くに、とても立派な松の並木があります。堤防の上に生えていて、2車線の道路がそこだけ枝分かれしていて、きっと一度通った人なら ああ、あの松だね と思い出すと思います。
見上げるような大木で、しかも盆栽や職人が手入れしているかのようなとても形の良い赤松です。

私が引っ越した今年の3月から、2本が切り倒されてしまいました。理由は松くい虫です。葉っぱが茶色くなり、最後は丸坊主になり枝だけになってしまう。 最初の1本はもう枝だけになっていて、もう駄目だと思っていました。案の定切り倒されていましたが、今回のもう1本はまだ緑の葉を残していて、通るたびにどうなるだろうと心配していました。

おそらく樹木医が判断して、他の松に虫が移らないうちにと早めの処置をとったのでしょう。致し方がないです。
切り倒される日にちょうど通りかかりました。大きなクレーン車で、太い枝も切り落とされて、まるで床の間の柱のようになっていました。

先日、通りかかったときに残された切り株を見てきました。
ついでに年輪も数えました。190までは目と指で数えられましたので、見逃した年輪を含めたらきっと200年は生きていた松だったと思います。
赤松の切り株

大きな木や山がなくなると、それは風景として感じていた景色がなくなり、それに違和感を感じることでしょう。
ずっとあった建物がなくなるのも、それと同じような違和感だと思います。
この松は何百年と生きてきた他の松の間にぽっかりと空間をつくってしまい、皆の記憶にずっと残ると思います。

残された木の切り株を眺めていると、なんだか不思議だと思いました。
木は地表に生えているのと同じくらいに地面に根を伸ばしていると聞きます。
よく、木を切り倒したけど切り株がずっと残されているのは掘り起こすのが大変だからなんでしょう。

よく「地域に根ざす」とか「根性がある」とか言いますね。根っこを張るというのは、大きく成長するためにも必要不可欠だという事を切り株は教えてくれる気がします。 たとえ切り倒されてしまっても、その根ざした根はなかなか取り除けない存在です。

わたしたちも、大きく成長するには根ざすものがしっかりしていないと。と思いました。

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